2024年3月29日、クリストファー・ノーラン監督最新作『オッペンハイマー』が日本で公開された。今作は「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマーという天才科学者の物語を描いたもので、全米では昨年の2023年7月に上映していたが、唯一の被爆国である日本では公開は未定だった。
今作の主題はあくまでも一人の人間の物語ではあるが、一般のイメージはおそらく原爆の映画であるため、日本の公開は腹をくくる決断だっただろう。配給会社のビターズ・エンドはそれでも今作を公開すると決断してくれたことをありがたく思う。
この記事では映画『オッペンハイマー』の感想と日本公開に至るまで・日本の反応から考えたことについて語っていきます。
※今回の記事はかなり長いです。4000文字以上あります。
目次
感想
映画の感想自体は私がFilmarksに投稿したレビューと基本は変わらず、Filmarksのレビューを軸にFilmarksでは書かなかったことも追加で語っていきます。
ネタバレなし
初めに私情を挟みますが、私は戦争当時に生きていた人間ではないし、広島県民でも長崎県民でもありません。この映画が日本で上映することに対して、この映画の描き方に対して不平不満などを言いたい放題言うべきな立場ではないかもしれません。
言ってしまえば部外者の身です。
主題はあくまでも原爆を開発した人間の物語であることは分かってます。
ですが私は唯一の被爆国である日本で生まれた人間です。「はだしのゲン」を読み、原爆ドームと平和記念公園に訪れ、資料館で泣きそうになり、二度と核が使われてほしくないと強く願いました。
今作を鑑賞している間、「日本人として」という感覚は本来不要なのだが、やはり一人の日本人として観るという感覚はどうしても随所にあり、観ていて複雑に思う箇所は多かったです。
それでも今作は観ていて核を助長しない、反核であることはしっかりと伝わり、大いに観る価値がある、映画の歴史で欠かせない一作だと思いました。唯一の被爆国である日本では賛否両論となるのが妥当だと思いますが、これは絶対に観てほしいと言いたい映画だった。
核を生み出した者の物語から核の脅威を伝える分には十分に良い出来だと思う。
だが今作は伝記映画なため、あくまでも事実を淡々と伝えていく構成であり、面白い映画というわけではない。人物についての予備知識があることを前提に描いていて親切ではない。
そして主人公オッペンハイマーが科学者であるため科学の専門用語も出てくる。当たり前のようにサラッとブラックホールを発見したことやウラン235の話など、オッペンハイマーの本だけ読んでいたら分からない科学者間にしか分からないような話が出てくる。ちなみに科学者が話していた内容を分かりやすく解説している動画があったので添付する。
私は事前にオッペンハイマーの本を読んだのと、上の動画を視聴してから映画を鑑賞したのだが、1回の鑑賞では5割ほど、それも本の段階でなんとなく程度の理解だったので、本をじっくり読んだ方は7~8割は理解できるんじゃないかと思う。本だけでは分からない描写もあるため、是非上の動画も見てから臨んでほしい。
本を一から読むのはしんどいかもしれませんが、上の動画を見るだけでかなり楽しめます。映画公開直前に分かりやすい予習動画を投稿してくれた、たてはまさんに感謝です。
ネタバレあり
笑うようなところではないと思うが個人的に笑えるシーンが2つあったので、紹介しようと思う。1つ目は「なぜ期間もわからずド田舎へ?」という翻訳がいかにも現代語っぽいところ、2つ目は2回目のジーン・タトロックとの性的描写の場面で、聴聞会の最中に室内でオッペンハイマーが裸になったところ。特に後者に関しては違和感がすごいのにかなりシュールなシーンなので印象に残る人もいるんじゃないでしょうか。
ノーラン映画は何年経っても忘れない頭に焼き付くシーンが多いと思いますが、今作においては私はこの場面は忘れないだろうと思っています。
本を原作にしているため当然なのだが、観ていて「あ!ここ本に書いてあった!」と明らかに分かるようなところは多かった。聴聞会での「私がバカだったからです」というオッペンハイマーのセリフは読書時に印象に残ったセリフで、本ではこのセリフについて裁判官たちがオッペンハイマーを蔑むような印象を抱いていたことが書かれていました。
そして思ったより広島・長崎についての言及が多かったなと思った。日本の直接的な被害の描写は一切ないものの、東京大空襲や被爆者の死者数など日本について言及しているシーン、そして原爆2個を車に乗せて運ぶシーンは心が痛みました。
しかし原爆を助長する映画では決してなく、生み出した張本人でありながらも間違いだったと感じ始めたオッペンハイマーを主役に描いていることから、観ていて原爆は間違いだったんだ、そしてこの映画は反核の立場を強く主張したいんだと分かる。
そういう意味ではトリニティ実験の後の描かれ方がとても重要で、そのことも監督はしっかり理解していたと思う。
トリニティ実験の後の演説中に皮膚が焼け爛れた聴衆、足元に転がった黒焦げになった焼死体の幻覚が、そして聴聞会でも原爆の光の幻覚を見るようになったことから、彼が原爆に対して恐怖を抱き始めたことが伝わる。
ちなみにその皮膚が焼け爛れた犠牲者役は今作の監督であるクリストファー・ノーランの実の娘が演じているらしい。このことについてのノーラン監督の理由に納得した。
「重要なのは、究極の破壊力を作り出せば、それは自分の近くの人々、大切に思っている人々をも破壊してしまうということだ。これは、わたしにとって、それを可能な限り強いやり方で表現したものだと思う」と明かした。
トルーマン大統領との会話で「自分の手は血塗られている」と発言したシーンからも、彼が原爆開発を後悔するようになったことは十分伝わると思う。トルーマンはオッペンハイマーに「原爆投下は私の決断だ」「泣き虫科学者め」と言っていることから原爆投下を決定した者と作った者の考えが全く違うことも分かる。
ラストで「核の連鎖反応が世界を滅ぼすかもしれない、そしてそれに成功したかもしれない」と世界の破壊者となったことをアインシュタインに伝える。
そして核爆発の連鎖によって地球が飲み込まれる未来を想像し、幕を閉じる。
ラストでオッペンハイマーが想像した核連鎖が起こる未来は、この記事を書いている現在、2024年3月29日には幸いなことに実現していない。
最後にあなたは一体どうするかというようなメッセージ性を残して終わり、否が応でも考えさせられる。事実この映画は世界的に大ヒットし、そして世界中の人が考えるきっかけになっているだろう。
これが核を生み出した者の物語であり、その人は核を生み出したことを後悔している。
さて、あなたはこの映画から何を感じたか?
日本公開に至るまで
全米公開前、原爆をSNSの気軽なネタとして利用され、米『バービー』公式Xがポストに好意的に扱ったことが問題視された。
日本のバービー公式は謝罪。
オッペンハイマー公式に非はなく、これに関しては米バービー公式が悪い。
オッペンハイマー公式が悪いわけではないが、上映が見通しになったのはこのことが大きいと思う。一般のアメリカ人の原爆に対する危険視はあまりされてないのが現状なのかなと思った。
広島・長崎での試写会
唯一の被爆国である日本人の感想も大事だが、それよりもやはり今では数少ない被爆者がどう受け止めたのかはとても重要だろう。
3月29日の一般公開前に3月中盤に広島と長崎で試写会が実施された。試写会のゲストの中にも当時被爆者だった人も登壇していて、県内の高校生・大学生と後の世代に発信していくためだろうか、若者を対象に実施された。
配給会社のビターズ・エンドはとても真剣に向き合っていて、軽々しくこの企画を実施したわけではないと読み取れる。
広島の試写会で、元市長はこれぐらいでは悲惨さは伝わらないのでは?と答え、映画監督は悲惨さが表現できていたと、当時を知る人間とそうでない者の温度差が生じる感想が出る、被爆地での試写会としては不思議とは思わない結果で、当然だと思った。
一方若年層はどう捉えたのか。調べてみると広島の試写会に参加した高校生の意見に思わず心打たれたため紹介する。
試写会に参加した崇徳高2年(17)は「広島の視点でしか戦争や原爆について考えたことがなかった。様々な視点で考えることが大切だと思う」と振り返った。
広島の高校生でこの意見が出たことは凄いことだと思う。被爆地の核に対する教育は日本のどこと比べても真剣に教わってきたはずだ。そんな中、原爆について知るには日本の視点だけを学ぶのではなく、いろんな視点を知ることが大切だと気付くということが、私は世界がさらに一歩平和に近づくための大事なことなのではないかと思った。
これは私の意見なのだが、一方的な日本の事実だけを知るより、アメリカでどういう背景があったからこのような出来事が起こったのか、どちらかを一方に知るだけでなく、両者の背景を知ることで初めて共生を真剣に考えることができるのではないかと思った。
最後に
いずれ世界全体が知る必要があるであろうオッペンハイマーの半生を知るきっかけを作ってくれたノーラン監督に感謝する。私自身この映画を通して、日本の面でしかほとんど知らなかった核のことをさらに詳しく知るきっかけとなった。
今作は間違いなく世界で核兵器の見方が変わるきっかけとなるだろう。そういう意味で私は今作は映画の歴史で欠かせない一作だと思う。
世界全体が平和を目指すことを切に願う。